『京都おさんぽ#29』塔婆流しをする人が訪れるお寺~1,000年以上の歴史の『千本ゑんま堂』


8月も半分を迎えました。
今日は和音から歩いて3分。
『塔婆流し』で全国的に知られる
千本ゑんま堂(引接寺)』のご紹介です。

140815閻魔堂1

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この日もいつものように、日用品の買出しで外出。
買い物を済ませるといつもは
すーっと宿へ戻るのですが、

なぜか今日は、ゑんま堂さんへ行きたい!という
気持ちが頭の中をよぎり、
買い物袋片手に、寄り道。

140815閻魔堂4

入口で柔和なお顔の石像が向かえてくれます。

「千本通り」と「蘆山寺通り」の交差点すぐ近くにあるお寺。
開基は西暦9世紀、お寺の開山は11世紀という永き歴史です。

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『ゑんま堂さんの歴史』をご紹介

百人一首の歌人として知られる小野篁卿(802~853)は、
この世とあの世を行き来する神通力を有したとされており、
昼は宮中に赴き、夜は閻魔之廰に仕えたとの伝説を残しています。
篁卿は、閻魔法王より現世浄化のため、
塔婆を用いて亡き先祖を再びこの世へ迎える供養法で、
後に我が国の伝統習慣である「盂蘭盆会(お盆行事)」へと
融合発展する法儀「精霊迎えの法」を授かりました。
その根本道場として、朱雀大路(現・千本通り)の
北側に篁卿自ら閻魔法王の姿を刻み
建立した祠が当ゑんま堂の開基です。

篁卿の後、寛仁元年(1017)、
藤原道長の後援を得た比叡山恵心僧都源信の門弟・定覚上人が、
ここを「諸人化導引接仏道」の道場とすべく
「光明山歓 喜院引接寺」と命名し、
仏教寺院として開山しました。
「引接」とは「引導」と同義語です。
「引接寺」という正式名称より、
「通称の千本ゑんま堂」としてより親しまれているのは、
この地が開山以前から、人々にそう呼ばれ、
神仏や宗旨宗派を越えた信仰を集めていたからにほかなりません。
(引接寺HPより抜粋)

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まずは、本尊にお参りです。

140815閻魔堂6
(ゑんま法王お写真:引接寺HPより抜粋)

こちらのご本尊は「ゑんま法王様」です。
ゑんまさんというと
鬼の形相で悪い人を地獄へ落とす人
みたいなイメージを持たれている方も
おられるかも知れません。

しかしそれは一面的な見方と言えるでしょう。
実は死者をあの世のどこに送るかを決める
いわば裁判人のような存在だそうです。

あの怖いお顔も、
人間を三悪道に行かせたくないために
あえて怖いお顔で地獄の恐ろしさを語ってくれる、
そのときのお顔がゑんまさまの顔として
定着したのでしょうか。
(三悪道:悪行を重ねた人間が死後に趣く
と言われる3つの下層世界(地獄・餓鬼・畜生)のこと)

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お参りしたあとあたりを見回していると、
奥のほうで、『塔婆流し』をやっているようです。
見にいってみましょう。

140815閻魔堂2

『塔婆流し』って?
灯篭流しはよく聞くけど、どんなこと?

Wikiすれば出てくるかもしれませんが、
塔婆流しを説明している方がいたので
お話を少しお聞きしました。

『塔婆流し』は先祖の御霊を供養して
子孫繁栄を願って、塔婆を流す行いです。

すぐ横にある所で、塔婆を購入し、
「○○家」というような文言を書いて頂きます。
それを持って、写真の池へ赴き
掛け水をしたのちに、
思いとともに、塔婆を流す
という流れだそうです。

 

すいません。脱線します。
お話を聞いているときに
そのお寺の方に「いいお顔ですね」と言われて
すごく嬉しかったです。
ありがとうございます。

 

この『塔婆流し』は毎月16日に行われます。
またその時期に合わせて来られるのも
いいかもしれませんね。

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この塔婆流しの池の横には
紫式部の像と共に供養塔が
建立されていました。

140815閻魔堂3

この塔は紫式部のあの世での不遇な姿を見て
成佛させんがために建立したと伝えられています。

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『千本ゑんま堂(引接寺)』へは和音から徒歩3分。
宿から行く場合は、蘆山寺通りをまっすぐ西へ歩きます。

またお宿にお越しの前に立ち寄られる場合は
最寄の「乾隆校前」下車、千本通りを歩くとすぐです。

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