京都の鵜飼、そして未来への期待。


 
『鵜飼(うかい)』。
鵜匠と呼ばれる鵜の使い手さんが、
鵜を使って魚を捕る漁法。

今日は『京都の鵜飼』、
更には『未来の鵜飼への期待』について書かせて頂きます。

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鵜飼と聞いて、たぶん多くの方が思い浮かべるのは
岐阜は『長良川の鵜飼』だと思います。

私も京都に住む前までは、長良川の鵜飼しか
知りませんでした。

 
しかし、恥ずかしながら京都にも
鵜飼が行われていることを最近知りました。

その場所は、嵐山(大堰川)と宇治(宇治川)。
双方とも、京の夏の風物詩であり、
毎年夏の時期に行われます。

ちなみに今年の開催期間は。。。
嵐山:7月1日~9月15日(嵐山の鵜飼ページ
宇治:6月14日~9月21日(宇治市HP
とのことです。

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ここで少しだけ歴史を紐解いてみましょう。

■嵐山
『嵐山』の鵜飼は、清和天皇(849~880)に
宮廷鵜飼が行われたのが始まりで、
徳川時代に途絶えましたが昭和25年再興され
現在に至っています。

■宇治
『宇治川』の鵜飼は、平安時代にはすでに
行われていたと言われています。

天禄2年(971)奈良の長谷寺に参詣した
藤原の道綱の母は、その往復に宇治を過ぎて、
川岸から鵜飼を見物しています。

当時は、宇治川の風物詩、氷魚を捕る網代とともに、
盛んに行われていたようです。

平安時代の後期になると仏教の教えの影響をうけて
次第に宇治川での殺生が戒められるようになりました。
そして平安貴族の衰微とともに、
宇治川の鵜飼も衰退していきました。

現在の鵜飼は、大正15年に再興し、
宇治川花火大会と共に宇治の夏の風物詩となっております。
(宇治市HPより一部抜粋)

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双方ともにその始まりは千年以上前という
伝統行事ですね。

嵐山と宇治の両方とも開催は夜。
昼間の暑さが和らぐ頃、
貸切舟に乗船して鵜匠と鵜の
見事な技に魅入ることでしょう。

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『未来への期待を込めて』

宇治川の鵜飼では、そのウミウが
今年初めて産卵し、鵜匠が人工孵化に乗り出した
というニュースが入りました。

なんでも飼育のウミウの産卵は珍しく、
その卵を人為的にかえす試みは前例がないそうです。

それが成功すると、将来そのウミウを使って
国内では途絶えてしまっている
『離し鵜飼』・・・手綱を付けずに行う鵜飼
が実現の可能性も高まると地元の鵜匠は
期待を寄せています。

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なんか、こういう未来へと続く
ニュースはいいものですね。

宇治で人口孵化が成功し、
将来、途絶えている『離し鵜飼』の復活
とともに、伝統行事へ新たな風が吹くことを
祈っています。

 

今日もご覧頂き、ありがとうございます!!

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